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2013年 02月 16日

MEYの日記

はちが虹の橋へと旅立って5日経った。

世話をしている間は、そのことに夢中で写真の整理もしていなかったことに気付く。

一年前にデルのノートにした時、外付けハードのデータをメモリに移したつもりだったが、2008年から2011年のほとんどのデータが確認できない。
外付けハードは壊れたようで、CDに焼いた気もするし、USBメモリに移せなかったのかもしれない。


また、はちの世話が一日の中心になっていたので、気が抜けたようだ。

慢性腎不全と尿毒症については、かなりの勉強をした。
ネットで検索しても答えは見つからない。

ご飯を食べなくなると心配になって、病院へ連れて行くことになってしまう。

医療費が掛かって泣けてくることも。


ちびには十分な医療措置をしてやれなかったと、ずっと重い何かを心に残してきました。

セカンドオピニオンをするべきだったと、何度後悔したことでしょう。

野良生活が長かったはちとすみちゃん兄妹、お父さんと思われるダイちゃん。
みんな腎臓が悪くなった。

新鮮な水なんてない場所にいたんだもの、仕方ないよね。

でも、はちは黒い毛がつやつやだったし、見た目には尿毒症だなんてわからないほどでした。

お正月にMさんが見舞ってくれて、はちー♪って優しく撫でてくれました。

はちは小さな消え入るような声で にゃ、にゃ、と鳴きました。

ありがとうって言っていたのかもしれません。


はちもすみれも尿毒症だったけど、皮下輸液だけはがんばってやってきました。

はちが暴れると、

死んじゃうよ、お願い。
午前に失敗、夜も失敗。仕事に行ってまた夜になってしまって、くたくたになったことも。

針を替えて何度も刺して、痛かったよね。

よく辛抱したね。

最期には、はちの鼻は血の気が無くなって真っ白かった。

輸液すれば腎臓は負担が軽くなるけれど、貧血が進んだ。

食欲が無くなれば、高栄養食のa/d缶をシリンジで少しずつのどの奥に流し込んだ。

もがいて前足で抵抗したことも。

最後の食事は亡くなる少し前。
ほとんど飲み込めなかったけれど、食べさせなきゃって思いが強すぎたのかもしれない。

餓死だけは避けたかったので、輸液も強制給餌も迷わずしました。

通院も真面目にしました。

でも、死ぬときは死ぬのね。

おしっこもじゃーじゃー出ていたのに、最期の3日間は、おしっこも減少。
いよいよ腎臓も機能しなくなっていたのかもしれないね。


はちに出会った時の写真をネットのアルバムで見つけた。

はちはいつも目やにをつけて、かすれた声で鳴いていたっけ。

はちわれの黒い模様は、首のところで頭巾のように切れていて、可愛かったなあ。

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初めてうちに連れてきたとき、緊張からかご飯を食べなくて心配したっけ。

発病する時は、狭いキャットタワーの箱に引きこもるくせがあった。

そんな時は用心だったね。

はちが恋しくてたまりません。

今年米寿を迎える父は、親族が金銭で揉めるのが一番見苦しい、と生前贈与と遺言を20年以上も前にきちんと遺してくれました。

お金の問題で人の本質が分かると思います。
欲深い人はトラブルに巻き込まれやすいです。

また有り余る富を手にした途端に災難に見舞われることもあります。

お金は暮らせるだけあればいいですね。

我が家も貯金をしたいと思いつつ、次から次へと犬猫の医療費に消えてしまうのですが、なんとか生活できているし、大らかな夫のお陰で、犬猫にばかり手をかけていても文句も言われることもありません。

本当に人に優しくて、たくさんの人の世話を喜んでしてきた父の徳です。
私もその徳を頂いているのだから、お金にならないことを喜んでやれる人でいたいと思っています。

両親の教育は間違っていなかったと思う。

両親の喜ぶ姿がなにより嬉しいし、結婚もして息子ふたりに恵まれ、一軒家で犬を飼う夢も実現できました。

それどころか、おうちのない猫達が私を選んでくれて、毎日健康でありがたいことです。

はちを虹の橋に送って、あらためて、動物愛護について考えた5日間でした。

ほったらかしのホームページはアップロードの仕方も忘れ、アルバムにもログインできず、データの所在もわからず、お粗末な更新になりました。

自分の家からこつこつと、これからも愛護活動を地道に続けていく所存です。
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by chibi_mat | 2013-02-16 17:28 | MEYの日記


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